闘病日記

 

 

 

越本 佳世子の副鼻腔炎(蓄膿)手術入院の全記録

2006年8月3日〜11日

 

前述

今、手術終了時から24時間程過ぎた。

そしてやっとこうして文章を書くことが出来る状態になっている。。

いままで何気なく何もやる気がおこらないという言葉を使ってきたが、全く使い方を間違っていたらしい。

“何もやる気が起こらない”とは、本も、漫画も、雑誌も読まず、何も音楽をかけず、眠りもせず、ただただ、ぼうっと横になり続け、ある決まった時間がくるのを待っている状態のことだ。

やっと、何かする気になった今、この特別な状態の記録を残そうと思う。

 

 

 

 

 

8月1日

入院初日

出発前

朝、父、母とともに出発の準備をする。といっても、前日に荷物は鞄に詰め込んであったのでほぼ車にのせる作業だった。タオルに着替え、学校で借りてきたトルストイ戯曲全集に最近購入したMacBook。あと就職活動のためのテキストを持って行き、普段さぼりがちな、やらなければならないことをここぞとばかりにしようと荷物は重かった。10日の入院予定である。10日…長い。正直この時は10日で色々な事を処理することが出来ると考えていた。Macの使い方や卒業公演でのテキスト作り、一般教養の勉強、ネタを増やすための読書…後々、この考えはくつがえされることになったのだがそれはまた後で…。朝の出来事といえば後、地元の市役所の公務員試験を受けるべく、その日配布開始の申込書を取りに行くだの行かないだの…親と少しもめた上結局取りに行く日常的な一コマだった。

 

 

到着

午前11時、父と共に病院受付へ。病院の名は済生会病院。地元の病院だけあって越本家は随分お世話になっている。私の記憶にあるだけでも、母方の祖父が大静脈破裂により運び込まれ、そのまま息を引き取ったこと、私が15の時、盲腸で入院、手術をしたこと。数年前、父方の祖父が酷い痴呆と衰退により一時的にお世話になったこと、(この祖父はその後間もなく別の病院で息を引き取った)後、三年程前、母方の祖母が大腸がんで入院したこと(今死んだと思った人もいるかもしれませんがちゃんと生きてます)。以上が済生会病院と越本家との因縁の歴史である。きっとみんなここで死にます。多分。

それはさておき、なぜ父が一緒なのか。平日なのに。理由は父も診察に来たから。そう、越本家の人々は絵に描いた病気しぃっ子たちなのだった。済生会病院との因縁も事細かに書けばどれだけあるかってくらい。まあ、診察の日を私の入院の日にあわせて会社休んだのだとは思うけど。

とにかく、病院に行って受付をすますと早速病室へ。個室。そう、個室です。いいって言ったのにお父さんったらもぅ状態でした。マジで。大した病気じゃないのに個室なんて…でも後々ありがたくなるんですな。これが。

数分して母到着、看護婦さんに入院中の諸注意とか説明を受ける。担当看護婦さんの名前は伊集院さん。白衣の天使の名前が伊集院なんて、漫画のような取り合わせの彼女は若くはないけどすらっとした長い手足のおめめのおおきな大人しそうな人。もうちょっと若かったら乙女とか、可憐とかいうことばがぴったり合いそうな…っていってもおばはんじゃないですよ。30代前半と言ったかんじです。午後から担当医の説明があると言われ、昼食を食べた後はそれまでゆっくりしていることに。昼食が出ると言われ、朝が遅かった私は昼食をキャンセルしようとしたのにそこでデブパパが「私が食べますからいいです。」だって。でもさすがプロの伊集院さん。この変化球にも顔色一つ変えず「あ、そうですか?」とふつうの対応。ところがデブパパはなぜか「別にいいんですよね?」と、この激恥ずかしい質問をさらに二回も繰り返した。もうやめてください…

昼食を確保した父はいったん自分の診察へ。母と私は前日準備などであまり寝ていないこともあり、そのまま病室のベッドとソファで寝てしまった。

 

 

手術について

午後2時半頃、担当医の小池先生から病状と手術の説明があった。

ここでちょっと詳しく私の病状と手術法を説明しよう。

私の病名は「副鼻腔炎」通称「蓄膿」である。

アレルギー性鼻炎が進行したもので、左側の鼻の中が炎症を起こすうちに膿ができてしまったらしい。さらにその膿が、頬の空洞(骸骨の作りとして目の下の頬にあたる部分に空洞があるらしい)の部分に溜まっているらしい。

鼻の途中に、その頬の空洞への入り口として小さな穴が開いているらしいのだが、私の膿はこの穴をも溢れ、蓋をし(この蓋をしている部分を「ポリープ」と呼ぶ)、頬に完全に膿を密閉しているという。

手術ではこのポリープと膿を取り除くほか、今後炎症を起こしにくくするため、左右両方の鼻の中にあるヒダのような軟骨を1本づつ(片方の鼻に3本づつある)抜いてしまうのだ。

手術における危険性についても説明してくれた。

第一の危険性は眼球を傷つける恐れがあるということ。鼻の軟骨をとったり、頬の膿を取るとき、眼球に近いところでメスを入れたりするので危ないのだ。もし傷がついた場合、出血により目の周りが真っ黒くなりパンダみたいになるらしい。が、1ヶ月で戻るらしい。

第二の危険性は脳壁を傷つける恐れがあること。理由は目と同じだが、もし傷が入ると、鼻から脳漿がでたりするらしい。

第三の危険性は、炎症の原因が何かしらデキモノだった厄介らしく、手術は一旦中止となるらしい。

いろいろえぐい話をされてその度にイヤぁ〜とはなったけど、特に手術への不安があおられたということはなかった。先生もまぁ、大丈夫でしょうと言ってくれたし、何より担当医の小池先生にはこの病気に気づいて通院を始めた半年前から見てもらっているのでなんとなく信頼していた。それに、小池先生はこの病院の耳鼻科部長だし、府立医大の医師という肩書きもありきたりだが安心感を与えられた。

「おねがいします」と改めて挨拶し、先生は退室。

ちなみに先生は30代後半くらいの、華奢で猫背の眼鏡をかけた人だ。やさしいし、だからといって気弱なカンジのないしっかりした印象の先生である。

その後すぐに、手術室の看護士の人も来て自己紹介をしにきてくれた。最近は医療問題が深刻化していてか、なにかと丁寧でありがたい。何をどうするのかよくわかるし、本当に何度も気にかかることがあったら何でも言ってと言ってくれるので、他人という恐怖感が無く、何いっても何とか受け止めてくれそうという安心感が生まれた。

「緊張してますか?」と看護婦さんにも看護士さんにも小池先生にも聞かれたが、この時の私ときたら全くもっておき楽で、緊張どころか入院生活を満喫しようとすらしていた。「もう全部お任せするしかありません。おねがいしました。」

 

 

長い夜

午後9時、病院は9時消灯なのだがもちろん眠れる訳は無く、さらに昼寝や夕方にもうとうとしてしまったことから12時をすぎていざ寝ようとしても全然眠れないのだった。仕方が無くしばらくは本を読んだりワードで書類をつくったり、色々していたがさすがに明日手術ということもあり寝なければと焦りがでてきた。焦りが出ると逆に眠れない。動機が激しくなってきた。そしてここは病院。“病院=お化け=怖い”という方程式が出来てしまいさらに眠れない。さすがに「お化けがでそうで怖いです」とナースコールするわけにもいかず、じっと耐える。そのうち隣の部屋から聞こえる大いびきがとても気になってきた。あまりのうるささで相手は病人と解っていても苛立って、「ちょっとマジうるさいっす…」と言いにいきたくなるほど。しかしそうもいかず、しばらく私は恐怖、焦り、苛立ちの三つの感情を抑えてなんとか眠ろうとする。

しかしとても眠れそうも無い。仕方なくしきり直すために電気をつけ、もう一度読書をはじめた。焦りまた寝ようとし、出来ずまた本を読み、寝ようとした…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月2日

入院2日目(手術当日)

断食断飲

午前7時、気づいたら朝で、伊集院さんが朝の問診に来てくれた。「眠れましたか?」といわれ正直に「全然」と答える。しかし病院の朝は早い…九時に寝て六時に起きる。(ほんとは6時起床)それが健全な人間の生活なのね…!昨日はどうやら3時頃に寝たらしい。4時間睡眠だと普段とさして変わらないのだけど、やはり多少手術のことを意識していたのか、あまり寝ていないことが不安だった。

朝ご飯を食べたらその日は10時から飲食禁止の条例が私に出されていた。食は全然かまわないが飲は困るっ!10時からだったら手術まで5時間もあるのに!!今思えば手術の苦しみはここから始まっていた。まず、断食に備えた点滴をされる。要は水分のもつ摂取必要物質を血管から取り入れるという仕組み。

しかし伊集院さん、いい人だけど注射苦手なのかな…??なぜか「ん?」「アレ?」と何回か針崎をもにゅもにゅさせている。い、いたい(汗)と思いながらもきっと今は変に刺激せず、うまくやってもらうことだけ願おうと黙っていた。しかし「いたくないですか?」の質問。さすがに「いたいですけど…(何か問題が??!)」「ちゃんと入ってるんで、大丈夫とは思いますけど痛いですかね?」「あ、まぁいたいっていっても耐えられなくはないんで、刺し口が少し痛むくらいで…(ってか、あなたのそのなんか不思議そうな感じはなに?全然すんなり終えた感じがない理由はなに???それが怖い!!)」結局大丈夫だったんだけど、結局あの不思議そうな原因は解らなかった。

とにかく、10時を過ぎ、私は最後の水を口にいれ戦闘態勢。「もう水なんて欲しません」

断飲して数分後、しかしいつの間にやら寝てしまい、目が覚めれば口はカラカラ。寝たのは失敗だったーと思いながらもまま眠気に負けて寝てしまった。

 

 

あ、、

あ、ほんとに疲れて寝てしまった。今の私は入院4日目の夕方。リアルタイムな感じでお送りしたいのになかなか追いつきません…

 

えーっと、それで、そう、ねちゃって、おきてやっぱり喉がカラカラであぁ、また失敗したぁと思っても後の祭り、さすがに水飲む訳にもいかず(もし飲んでしまったらサイアク手術台で排尿という事態に!!)ウガイをしてなんとか乾きを誤摩化した。

 

 

浣腸

午後1時、伊集院さんがやってきた。「越本さん、今日便でました?」「あ〜、すこし。」前から便がでなければ浣腸とのお達しがでていた。それがいやでトイレに行って無理矢理がんばった結果が“すこし”だった。ほんとは浣腸嫌いなので「がっつりでました!」と嘘言いたいところだけど、それこそ手術台で排便という最低最悪の事態を引き起こすかも知れない。伊集院さんも私の心情を察してか、「少しかー、微妙やねぇ」と苦笑い。「もうちょっと出そう?」と聞かれ、正直に「正直でそうですね。」と答える。「じゃぁ、もうちょっと待ってみて、出なかったら浣腸しましょうか」と、最終警告。私は改めてうんこへ挑戦状を叩き付けた。

が、結果は残念ながら敗北。なんだか眠気に負けて寝ていたら時間が来てしまっていた。伊集院さんが浣腸の準備をしてくれていた。私はもうなんだか眠いやら諦めやらで浣腸があんまり嫌じゃなくなっていた。とにかく、この時はなんだかものすごく眠かったのだ。そして処置。(アレ、思ったよりフツーだ。)「どのくらいガマンしたらいいですかね?10分くらいですかね」との質問に「まぁそれだけガマンできたらいいけど、なかなかねぇ。でもすぐ出しちゃうとお薬しか出ないからなるべくがんばってくださいね。」といいながら去る伊集院さん。居合わせた母も10分なんて絶対無理と明言。その時私は何の不快感もなく、むしろ眠気の方が勝っており、『便意<眠気』だと確信していた。だから、この眠気に身を任せてうとうとしていればそのうち10分くらい経つと考えていたのだが、もはや、早くも2秒後にはこの方程式は真逆だと完全に改訂される。まさに、伊集院さんが去り、母が「それは無理」と言い、私が眠気まなこに「うそや…」と言いかけたその瞬間、凄まじい便意がこみ上げてきた。「あ、ほんまや」と苦悩。まさかこれほどまでとは…いや、前に経験して知っていたはず…だからあんなに浣腸を回避しようとしていたのに…!!眠気に誤摩化されたなんと浅はかな私!!とかなんとか考えてる間に限界…「あ、なんか、もう、トイレ行ってこっかな…」の発言に母は「うそ!あんたまだ30秒もたってないで!」と。たしかに、10分とぬかしといてただの1分ももたなければ面目が…とか考えられたのも束の間、「もう無理や!トイレ行って来る!!」とトイレに爆走。『便意>眠気』である。

ともかく、この事件により、“手術中での排便”の不安を多少抱えたまま手術に臨んだ私だが、その心配は無事、無用ですんだのだった。

 

 

手術準備

午後2時半頃、耳鼻科の外来に呼ばれた。手術前の最後の準備、鼻の麻酔をしてもらうのだった。麻酔といっても鼻への注射ではなく、麻酔薬を染み込ませた脱脂綿を鼻へ突っ込むということだったので何の緊張もしていなかった。これで麻酔をしてもらえばもう何も感じること無く事が終えるのだ、と。しかし、いざ脱脂綿を突っ込むとなったら相当痛かった。思いもよらぬ奥にまでグイグイと脱脂綿を突っ込まれる。「イ、痛い…」と思わず泣き言。(これ以降私は泣き言泣き虫大魔神となってゆく。)小池先生も「多分これが一番痛い作業になるから痛いけどがんばって」と励まし。これさえ耐えればと思うと耐えられた。(しかしこれさえ耐えれば事件は今後何度も引き起こされる。)

麻酔詰めが終わり、一旦部屋へ戻り、筋肉注射で全身をボーっとさせ、いよいよベッドで手術室へ向かう段取りになっていた。

部屋へ帰ると早速筋肉注射。(この頃既に鼻の麻酔はよく効き、歯茎までしびれ出していた。)

筋肉注射の数は3本。そのうち一本は特大らしい。心して受けたのだがまれに見る痛みだった。鼻に脱脂綿突っ込まれるのとはまた別の苦しみ。ていうか長い!!5秒くらいかけて注入され、その間激痛である。なんと言うか滲みて、摘まれて、さされる感じだった。この特大を受けてから受ける並筋肉注射の軽いこと軽いこと!伊集院さん順番バッチリっす。

注射が終わるとすぐにベッドのまま手術室に運ばれた。ガラガラと横になって運ばれると思いもよらぬ疾走感を感じるベッドカー。

エレベーターを経由してあっという間に手術室前へ。手術室は以前した盲腸の時と同じである。あの時は全身麻酔にしてもらったので部屋に入って「眠くなってきました?」と聞かれ「まだ全然」と言った瞬間眠りに落ちたため、苦しかった思い出も部屋がどんなだったかという記憶も無い。だから手術室ってどんなんだろうという好奇心はあった。が、実際は筋肉注射等による麻酔一式で頭はすでにボーッとしていた。

心配そうに見送る両親を後にいよいよ手術室へ。

 

 

手術室

ガラガラと運ばれて手術室の入り口を通ると、そこはすぐ手術室ではなくまた違う病棟に来たように長く広かった。

進む途中、準備室かなにかだろうか、23部屋を通り過ぎた。そこで手術台に乗り換える。ドラマでよく見る緑のシーツがかかったアレである。

まだそこそこ元気なので自力でよいしょと。手術台は思いのほか細かった。私の体が乗って、横幅はあと両の手のひらが乗るか乗らないかといったかんじ。乗り換え安定したら改めてまた何か大きな扉をくぐり抜けた。やっと手術中とランプのついた手術室へ運ばれ到着。

そこはやはり天井にでっかい照明があった。ただ、手術内容のせいか、イメージと違い、部屋にはゴチャゴチャと器具はなく、あったのは壁沿いに道具を入れるステンレスの棚、あとは今から使うであろう道具が乗ったテーブルと、心電図くらいだった。

ただ私はこの時すでにかなりもうろうとしていたため、あまり定かではない。そして様々な器具を取り付けられる。心電図用に胸と指先に。あと右腕に血圧計。こいつは常に一定のインターバルをおいて血圧を測定し続けた。

最後に頭にシーツ。ライトはかなり強烈らしいので目を守る役割と、これから行われる事象は多分見ない方がいいんだと思う。

部屋には有線で洋楽が流れていた。「音楽、有線なんやけどどれがいい?」といわれ、もうすでにとにかくどーにかしてくれ状態の私は「なんでもいいです。先生が一番成功できそうなヤツにしといてください」というのが精一杯だった。そして遂に、小池先生登場である。

 

 

手術!

「どうや?緊張してるか?」とか、「痛かったら言いや」とか、いろいろ聞いてくれていたのだけど、私はこの時のことを一番覚えていない。麻酔のせいか、とにかく絶頂に眠かった。

確か、「寝そうです」と言ったら「ほんじゃ寝とったらええよ」といってくれて、そのまま寝た気がする。このまま最後まで寝ていられたらどんなによかったろうか…

途中、「ぃいたっ!」と飛び起きてまた麻酔に負け眠るという事件を23回繰り返し、その後は痛みでずっと起きていた。情けないことに21にもなって、何度「痛い〜」とか「い、いたたたた」とか「ぅいた〜い〜ぃ」と喚いただろう。

でも、ほんとにいたかったんです。多分、私が喚き出してから先生も、お、起きたなと勘づいたらしく、「今ちょっと痛いやろけどがんばってな」と声をかけてくれた。

その時状況も説明してくれて解りやすかったのだが、要はほっぺたの空洞に溜まった異質物を取り除いていたらしい。それが思っていた膿み状の物とは違い、軟骨とか、殻のような物体で、風船のように幕を張っていると言う。

ほっぺたはさすがに麻酔が届きにくいらしく、そのひっぺがす作業が痛みの原因だった。に、してもイタイ!!グググ、ベキっ!ゴリゴリゴリ…と、骨伝導で音が明確にでっかく聞こえてくるし、はがした物を引きずり出す感覚すら解ってきた。

てかもう全体的に痛い気がする!まさか麻酔切れてんじゃないかと思いさらに訴えてみる。「あの、鼻が痛いです」と。「入り口の方やろ?」といわれ、考えると確かに入り口だけひりひりと痛みがあるだけだった。それは問題ないらしい。そして手術続行。

だが、ほっぺたやら鼻の入り口やらとにかく痛く、でも耐えるしかなく、喚きながらも私はきゅうきゅうに歯を食いしばって耐えていた。かけられた毛布が暑い!!「暑いです、暑いです」と、またわがままに訴えると看護士さんたちは足を出したり毛布をよけたり本当に色々対処してくれた。

先生は「このほっぺたのを取ったらもう終わりや。もうすぐ終わるからがんばれ。」と、何度か言っていたような気がするし、“もうすぐ終わる”から本当の終わりまで随分あった気がするなどと手術が終わった時は子供じみた理不尽な恨みももってしまったが、先生も気を使っていたに違いない。間違いなく、“もう終わる”という希望を目印に私は耐えていた。

何はともあれ、最後に豪快にベキベキッと固まりを取り出し看護士さんたちの「お〜〜〜!めっちゃきれいになった!」という歓声と共に手術終了。鼻にギュウギュウの脱脂綿をパンッパンに詰め込まれてやっと解放された。頭のシーツと体のカバーをとった看護士さんたちがこれまた歓声。この時は小池先生もびっくりしていた。「うわぁ、涙でぐっちょぐちょやなぁ、がんばったなぁ。」「汗もすごいですよ!お疲れさま〜!」とまるでゴールしたアスリートのような扱い。

確かに自分でも気づいていなかったが顔は涙で、体は汗でびちゃびちゃだった。そして術後の優しい声援で弱った神経は感じやすく、感動して思わずさらに涙。その後看護婦さんがベッドで迎えにくるまで小池先生や看護士さんたちと話をしていたがあまり覚えていない。もっとちゃんとお礼を言えばよかったと今は思うが、術後も鼻はズキズキと痛み、麻酔も抜けきれす、やはり意識は朦朧としていたのだ。

 

 

術後…

病室に運んでもらうとそこには両親。しかしその時の私には無事に終わった感動とかよりも鼻の痛みのことしか頭に無かった。とにかくズキズキと痛む。すぐに着替えた小池先生も来てくれた。「痛むか?」と聞かれ、ぼんやりとしながらも「はい、かなり」と答える。鼻にパンパンに詰め物してあるからしばらくは痛むらしい。もうその時私はその痛みから逃れることだけを考え、そのまま眠りについてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月3日

入院3日目

午前四時

明け方、四時頃、看護婦さんが様子を見に来てくれた。伊集院さんではなかった。よく太った、にこにこしたやさしそうなおばちゃん。

何か聞かれ、しゃべったが覚えていない。だだ、「水は…いつから…」という朦朧とした私の問いに、一度にっこり笑って頷いてから「もう今からいいですよ」といった。私は心底ホッとしたことは覚えているが、その後水を飲んだかどうかは覚えていない。

 

 

手術翌日

この頃のことはあまり覚えていない。何時に起きて、何を、いつ聞いたか。

おそらく、鼻の激痛と、炎症による38度を超える高熱のせいだろう。この日、伊集院さんはおやすみで、田中さんと言う若い、元気なかわいらしい看護婦さんが面倒を見てくれた。

それにしても、この日程入院というものの意味、意義を実感した日は無い。何故、入院なのか。入院とは、なんのことか、と!入院前、あれこれ持って行ってやろうとしていた自分を恨んだ。何も出来ず、する気も起こらず、体の調子は最悪に悪い。だから入院なのだ!と。心底安生しようと思った。

 

 

お世話になる脱脂綿セット

前の日、自分で鼻の一番手前の脱脂綿を変えるようにと綿球とピンセットとトレーが渡されてた。膿や血が流れてくるのでマメに変えなければならない。さらに、鼻は完全に栓をしているため、喉に血やタンのようなものが流れてくる。これも飲まずに吐き出さなければならない。点滴をつながれたまま、高熱にうなされ、激痛にうなされ、血混じりのたんを吐き、鼻の詰め物を変える。本当に最悪につらい一日だった。そんなわけで、一日中何をする訳も無くゴロゴロし、食も進まず。やっと何かする気が起きたのがこの日記の書き初めなのである。

まあまあ追いついたところで一旦休憩。続きはまた明日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月4日

入院4日目

鼻、でかくない???

途中記したように、前の日は疲れて寝てしまった。

そうそう、前日の夜寝る直前、東京に出稼ぎ中の兄とメールをしていた。今思えば朝の倦怠感に比べたらメールするなんて相当回復していたとみえる。「術後の調子はどう?」と聞かれ、「死にそう!」とあまえてみる。(体調を崩して毎回思うが、“なんとか大丈夫”とか言う時よりも“死ぬ!”とか言えてる時の方が何倍も元気だという何よりの証拠である。)返信は「(*゜_゜)ノ〜☆ケアル」だって。なんか癒された。兄妹とは有り難いものです。

ともあれ、手術して2日目、前日の朝に比べるとかなり痛みも熱もマシになっていた。それでまず鼻の脱脂綿を変えようとした。その時、なにか違和感が…「ん?なんか、鼻、でかくない??」今まで辛さが勝って全然気づかなかったのだが、明らかに鼻がでかい!!普段の二倍近い!顔の3分の1が鼻!!くらいの印象!「最悪やー!」と思わず独り言。まさかずっとこのままなのではと不安になり、先生に確認すると元通りになるらしく一安心。元々鷲鼻でこれを機にあわよくば整形して小さくしたいとすら思っていた鼻が大きくなられては困る。

一安心して改めて鏡を見た。巨大な鼻の穴両方に脱脂綿を突っ込んでいるというかなり大間抜けな姿!

次から部屋を出るときはマスクをすることを決意した。

 

 

点滴

この日は一ついいことがあった。ずっとつながれていた点滴がとれたのである。食事も並にとれるようになったのでもう栄養補給はいらないのである。点滴さんありがとう、もう会うことは無いだろう…と思ったのも束の間、今度から朝晩の一日二回、抗生物質の点滴をしなければならなかった。ので毎回針を刺されることに…まぁ四六時中点滴ガラガラ引き連れて歩くよりはましか…。

 

 

いびき…??

この日の昼食後、私はうとうとと寝てしまったのだが、なんと、自分のいびきで目が覚めた!いつの間にやら見舞いに来ていた母も「あんた、今いびきかいてたで!」と。

しかも起きて色々していた時よりもなんだかズキズキ頭や鼻が痛むっ!!まさか無理矢理鼻に息を通そうとしてイビキをかき、そのせいで傷に負担をかけているのでわ?と不安になり、早速午後の外来診察の時小池先生に聞いてみた。

そしたら「君は人より鼻で呼吸をしたいと言う気持ちが強いんかも知れへんなぁ。」となんだか褒められたような欲張り扱いのような回答。

でも鼻の詰め物に問題は無かったみたいなので一安心。が、この時手前に出て来てた膿を吸引され、っていうか鼻をいじられて痛みが!!激痛とかではなかったんだけど、とにかく痛みに敏感になっている私は即反応!「痛い!痛いです!」(なんだか手術以来、“いたい”と言うことが簡単になって来たようだ。)「あぁごめんごめん」と治療を終えた先生が「あぁぁ、涙が〜、ごめんごめん」と謝った。「へ?」と思ったらほんとに結構涙が出て来ていた。どうやら完璧に泣き虫キャラである。隣にいた萌抜先生に「あぁ、じゃあ月曜日に私はもっとなかしてしまうわ、ごめんねぇ」と先に謝られた。

萌抜先生というのは耳鼻科の医員さんで小池先生の部下みたいな人だ。すらっと背の高い若くて奇麗な女医さんだが、小池先生いわく、鼻のことに関してはかなりのプロフェッショナルらしい。

実は小池先生、この次の日から退院予定の前日まで病院を空けるため、萌抜先生が今後のお世話をしてくれることになっていた。これまでも萌抜先生は毎朝一番に様子を見に来てくれていたのだった。素敵な先生だから多少はガマンしたいがそういわれるとちょっとビビる…。

 

 

くしゃみ

この日も、マシとはいえ痛みと不快感にうなされながら、ごろごろと時間を過ごしていた。

そんな夕食後、急に、急激にくしゃみがしたくなった。今まで一切なかったのに、なんだかほんとに急にめっちゃくしゃみしたくなった。だが、くしゃみって!!鼻にいっぱいいっぱい詰め物してんのに!くしゃみなんかしたら空気の逃げどころがなくて耳がツンボになっちゃうんじゃないいのか!?いや、絶対そうだ!

そう思った私は必死でくしゃみをおさえた。だけどやはりすっきりしない。

そこに初めて見る看護婦さんが入って来た。その看護婦さん、実は少し前に私と同じ鼻の手術をしていたらしい。おお!なんか心強い!!と喜びいっぱい聞きたいことを聞いてしまった。

どれくらいで痛くなくなったかとか、こういう症状は普通かとか。で、との時にくしゃみっていいんですか?と聞いてみた。すると意外に「全然大丈夫よ。」との返事。そうなんやと思いつつ、やはり半信半疑で実践に至らず。

看護婦さんが去ってしばらくして、またくしゃみがしたくなって来た。だが、このときはなんとガマンする前に特大のが思いっきりでてしまった。「ヘックシュンっ!!」と放った瞬間「あヤベ〜〜!!」と焦ったのだが、その心配はほんとになかった。

めっちゃフツーにくしゃみができった。おまけにその後は連発だった。でも全然問題なかった。くしゃみはどうやら口へぬけるらしい。新発見。その後私は術後初の洗顔を恐る恐る試み、さっぱりした気分で床についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月5日

入院5日目

痛み止め

昨夜は全ッ然熟睡できなかった…。喉に足れる血と膿が気になって眠れなかったのだ。四六時中起きてはウガイをしていた。後、痛みも酷かった。耐えられないということはないのだが、そのために痛み止めを飲まなかったのが原因のようで、地味にずっとズキズキしていた。

前の晩は看護婦さんに薦められて飲んでいたのだが、私はあまり好んで痛み止めを飲まなかった。薬が嫌とか言う考えは全くなかったのだが、なんだかかってにあんまり飲まない方が良いのだろうと思い込み、耐えれるものは耐えようとしてしまっていた。ところが人間そう耐えれないものは無く、結局術後の次の晩以来ガマンしっぱなしだったのである。

この日の朝、問診に来てくれたのは例の鼻手術経験者の看護婦さんで、痛み止めの話をすると、えらく驚かれた。「私めっちゃ飲みまくってたわ〜、えらいなぁ」「あ、飲んでも大丈夫なんすか?」どうやらよほど飲みまくらない限り何の支障も無いらしい…。……無駄な努力を私は無知なばかりに度々してしまう。これからは少しでも痛ければ痛み止めをもらうことを心に決めた。

 

 

お引っ越し

この日は引っ越しの日だった。今までお世話になった個室から大部屋への移動である。はじめはどうでも良かった個室だがやはり痛みに苦しんでいるとき、広く、人目も気にならなかったし、部屋に洗面台が着いていてすぐうがい出来たし、クーラー嫌いでも気を使って冷やすことも無かったしとやはり快適だった。出て行くとなるとちょっと名残惜しかった。

引っ越しと言ってもベッドは同じベッドだし、荷物をまとめるだけでほとんど掃除のおばちゃんがしてくれた。

大部屋に着くとそこは4人部屋で、私のブースは入り口すぐの左手側だった。窓際がよかったけど、わがままも言えない。

身の回りをいいようにセッティングしたらあいさつに相部屋さんたちのカーテンを覗いてみた。

斜め前の窓側は5歳くらいの男の子。側にいたお母さんにまず挨拶。どうやらこの男の子も耳鼻科系で入院しているらしく、耳にガーゼしていた。

しかし、入院に至った直接の原因はそこから炎症を起こし、40度の高熱を出し嘔吐を繰り返すことみたいだった。ただ、私が覗いた時はとても元気にベッドに立ってにこにこしていた。「よろしくね」と手をだすと、小さな手でちょいちょいと握って「よろしく!」といってくれた。

その向いの窓側、つまり私の真隣には事故で大けがの女の子。大人しそうな子で、話を聞いているとどうやら大学1年生。パイクで事故っちゃったらしい。

ショートボブの細くてきゃしゃなかわいらしい女の子である。

4人部屋だけどこの部屋にいるのは私を入れてこの3人だけだ。ベッドは一つ空いている。

大部屋で与えられる自分のスベースは狭く、冷蔵庫も有料なためお茶を冷やしておくこともできないが、個室の時より幾分か平和な感じがして、眠る時もなんだか安心感があって好きだった。

 

 

赤ちゃん

個室ではドアも閉めていたためあまり気にならかったが、ここでは赤ちゃんが大泣きしている。実は耳鼻科と小児科の入院病棟が同じになっているため、子供や赤ちゃんがいっぱいいるのである。

この日も赤ちゃんは大きな声で元気いっぱいに泣いていた。「ぎゃぁーーー!いたい〜〜!」とずっと泣いている。この声を聞いていると(本人はそれどころではないんだろうけど)かわいらしくて癒された。それにしても元気。あんな大声であんなに長時間叫んでいられるなんて。声のする方を覗いてみると1歳ぐらいの赤ちゃんがベビーベッドにおっちんして涙でぐしょぐしょになった顔をお母さんに向けていた。あんな小さいのに病院でいっぱい痛い目にあって可哀想にと一瞬切なくなったが、またぎゃあぎゃあ泣き出すとかわいらしくて思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月6日

入院6日目

冷房…

朝きると喉がカラカラだった。そして寒い…。大部屋の恐怖である。寝る時は痛み止めをもらって、大部屋の安心感で快適に眠りについたのだが、起きると地獄だった。

冷房の調節が出来ないからである。私が冷房を苦手とする一番の理由は喉が弱いからである。乾燥してすぐにやられてしまう。ましてや今は口呼吸しか出来ない状況なので最悪である。口の中はもう水気ゼロ。痛いくらいで、舌なんかゴムみたいになっていた。

ここにきて一番個室の有り難さを思い知った事件である。

 

 

平穏

この日は大分病状も安定して熱も36.8度。運動に外を散歩してみたり、借りて来てもらったDVDを見たりと割と快適に過ごしていた。が、明日はいよいよ術後第二段階、鼻に詰めた脱脂綿を抜く作業がある。これがまた痛いらしく、その後もまた厄介らしい。嫌だけど着実に完治への道を進んでいる感じはしている。明日はあまり喚かないようにがんばろう。

あ、ちなみにやっとおいついてます。今はリアルタイム。ではおやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月7日

入院7日目

おはようございます。

ついに入院生活も一週間に至りました。

いつも、私は朝7時頃起きて朝食を食べ、朝の点滴をしてもらうと大体昼間で寝てしまうのだが、今日は食後20分程うとうとしただけで、後は体を拭いたり、テレビを見たりと元気に起きていた。大分回復した模様。

それにしても三日ぶりに体を拭いたのは気持ちよかった。お風呂代わりにバケツに入ったお湯をもらって、そのお湯を使ってタオルで体を拭くだが、なかなかスッキリする。後は髪の毛を洗えたらなぁ〜〜。

 

 

抜・脱脂綿

今、鼻の脱脂綿取ってきました。いやぁ、痛かった。が、思った程でもなかった。

血で肉とくっついて固まった脱脂綿をとるから痛いのかと思っていたのだが、奥に詰まったものととる痛みだけだったのだ。脱脂綿は固まるどころか膿と血でどろんどろんだった。

取るだけと言っても、伸ばすと20?は優にある脱脂綿を右の穴4本、左の穴5本をずるりと出すからにはやっぱり痛みはあった。

もっと痛いと思っていた私は身構えて歯をギュウギュウに食いしばっており、顔はかなりこわばっていたみたいで萌抜先生は笑っていた。

なんだかんだで無事抜糸ならぬ抜脱脂綿を終え、完治への第一歩を踏み進めた。

が、残念ながら思った程すっきりはしていない。やはり入り口には脱脂綿をつめていないといけないからだ。早く脱脂綿から解放されたい…。

明日は頬の空洞の洗浄である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月8日

入院8日目

(今気づいたけど、入院日数と日付が一致している!)

吸入

今日はえらく寝坊して看護婦さんに叩き起こされてしまった。

「越本さ〜ん、吸入してくださ〜い」とのこと。

遂に私の鼻も吸入に耐えられるようになったらしい。目出たい。吸入はナースステーションの真横の吸入機ですることになっている。

ガラス製の鼻用吸入器を与えられた(以後自己管理。この後は看護婦さんが時間になると薬を持って来てくれるのでそれをいれてもらって自分で吸入しにいくことになった)。

吸入では鼻に直接薬を送ることが出来る。7時20分、慌てて起き、説明を聞く。半分寝ていたので説明色々してくれていたけど、あまり覚えていない。でもやり方は解ってるので大丈夫。

入院前、外来で来ていた時は毎回していて、いつもは気持ちいい吸入だが今日は眠気のせいで何にも感じなかった。

 

 

洗浄

今日の外来は早かった。

いつもは本当の外来の患者さんの診察が終わった後見てもらうので大体午後で、1時から2時くらいに呼ばれるし、昨日なんかは混んで3時くらいになっていたのに、今日はなんと朝食後間もない9時過ぎに呼ばれた。意外な抜き打ちで緊張する間もなく診察へ。それで、遂に洗浄した。けど、脱脂綿を抜くよりよっぽど痛かったし、最悪な気分だった。

洗浄とは、つまり洗うこと。

要は、鼻から管を通して、鼻腔の途中にある目の下にある頬の骸骨の空洞を水で洗うのである。モチロン、出入り口は一つなので水は逆流してくる。鼻と口からがばがばと。

まず鼻に管突っ込まれてるのが痛い!そして頬の空洞に達しているのが感覚で解るのである。何ともイヤァな痛みである。とにかく痛い。何よりその状態のまま首を曲げて自力でうつむく。流れ出た水が自分でもってかまえたトレーに入るようにするのである。

萌抜先生「じゃあ合図したら“あー”って言ってな。」と、「あい」と私は返事もままならない。「はい!あーーー!」必死に「あ゛ーーーーーー」そして放水。

もう何も感じている場合ではない。鼻と口から液体が大量に。ごへぇぇぇ、ぺぺぺっ!側にいる太ったおばちゃんの看護婦さんが励ます。「がんばれ!」

一旦ストップ。「は、はぁああ」ともう放心状態の私に問答無用の先生。「はい、もっかいいくよ、顔あげてぇ」「あぁ、ち、ちょっとだけ待ってください」とまた半泣き泣き言の私。二回程深呼吸して腹を決める。「はい!」そしてまたごぼぼ。。

なんとか終了。とにかく、今回のこれでもう痛いやらなんやらは終わりらしい。

本当に良かった。

 

 

まんじゅう

洗浄から病室に帰って来て、10分そこらのことではあったが、痛いやら気持ち悪いやらで心身ともにすっかり疲れ寝てしまった。洗浄後12時間は横になるのはあまり良くないと言われていて、しばらくは座ってテレビを見ていたのだが、どうも耐えれなかった。ちょっと心配だが、今のところ不都合は無いので大丈夫だろう。

ほどなくして昼食になり、食後はがんばったご褒美にと思ってまんじゅうを食ってやった。内科の病気ではないので食事制限は特にないのである。

それにしても、私はあんこが得意じゃないのであんまりまんじゅうとか好きじゃないのに、なんでかやたら食べたくなった。食べている時はおいしかった。が、食べ終わったら久しぶりにめちゃめちゃ甘いものを食べたからか、もの凄い頭痛に苛まれた。もともとこういう体質だからあんこ好きじゃなかったのに…後悔である。

 

 

シャワー

今日、遂に午後からシャワー解禁令がだされた!かなりうれしい。丸一週間ぶりのシャワーだ。体はタオルで拭いていたからまだしも、髪の毛を洗いたくて仕方が無かったのだ。

午後3時半、316号室越本入浴。

本当にさっぱりした。髪の毛なんか2回も洗ってやった。さっぱりついでに外に出て天然ドライヤーの太陽と風で髪の毛乾かしてやった。今日は台風接近に伴い、晴れていて風が強く、良く乾いた。

人間、健康な生活の要因として入浴がかかせないのだと実感した。

 

 

こんにちは、赤ちゃん

私たちの大部屋に今日、新しいメンバーが入って来た。2歳くらいの女の子である。泣いたり笑ったり忙しく、かわいらしくて癒された。のも束の間、このベーベちゃん、とてつもないわがままお姫様だった。

痛くない時でもアレがイヤ、コレがイヤ、イヤイヤだとかアレしてコレしてのわがまま放題である。はじめは2歳ってこんなもんかと思っていたが、それにしてもちょっとですぎである。こら夜もぐずるんだろなと不安になった。

 

 

ご飯

いま夕ご飯が運ばれて来た。残念ながらまたおかゆ。さすがに飽きたし。いいかげん普通の米食べたい。けど、おかげさまで入院してから15キロは確実にやせている。ありがたい。

売店でお菓子なんか見てもまるで食べる気がしないし、テレビで焼き肉なんかみても、食べたいと思わないのはやはり常人より弱っているのだろう。

けど、前までおかゆでないと無理だなと思っていたので、米を食べたいと思うのはきっと元気になってきた証拠だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月9日

入院9日目

問診

今日、問診がなくなっていた。朝起こしてもらって、吸入の薬をもらった時に様子を聞かれ、朝食を食べている時、いつもどおり萌抜先生ががようすを見に来てくれたが、それで終わってしまった。

いつもは食後に体温を測って、血圧を測って、脈を取りご飯をどれくらい食べれたかと聞かれていた。

同じ部屋のほかの子が問診され始め、次は自分かと思ったら、回ってこなかった。もう問診は必要ではなくなったらしい。ほぼ完全な健康体へなりつつある証拠だとおもったが、なんだかもの凄く寂しい。

…と、くさっていたらたった今伊集院さんが久しぶりにきて問診してくれた。超うれしい。私はわがままな女王タイプではあるが、実は同時に、高校の時の部活の先輩など信頼のおける年上などには従順な犬になるタイプである。いつの間にやら担当の看護婦さんにかなりの親近感を抱いているみたいだ。

今、高校のとき友達に私の先輩好きさ加減に犬だといわれたことを思い出した。

 

 

さよなら、赤ちゃん

昨日来た赤ちゃんは。今日の朝帰っていった。どうやら大したことはなかったらしい。病室に静けさが戻り一安心である。

 

 

診察

今日の診察は遅く、4時前だった。今日は特に苦しむことはなく、術後の傷後を見てもらって、分泌物を吸引してもらい終わった。

あ、あと自分でやるタイプの洗浄をした。仕組みとしては昨日してもらった洗浄と一緒なのだが、水の出る管を鼻の奥に突っ込まないだけで全然痛くなかった。鼻の入り口にノズルを当て、レバーを引っ張り水をだす。そして「あ〜〜〜」と言うと反対の鼻と口から水や溜まっていた膿やらがでてくる。これがスッキリして意外と気持ちよかった。

この洗浄、退院後も家で朝晩2回を2ヶ月は続けなければならないらしい。ちょっと面倒くさい上に鼻洗機とやらを購入しなければない。ほんとに出費がかかる。けど今日は朗報があり、11日の金曜日には退院できるとのこと。ということは後2日。あっという間だ。うれしい。

 

 

鼻洗機

診察後、暇なので早速母と鼻洗機を買いにいった。紹介されたのは病院を出て歩いて1分ところにある薬局。店に入って「鼻洗機ください」というとすぐにでていた。500mlペットボトルみたいなのがくっついたビニールチューブだ。

こんなものが2300円もした。店のおずおずした人がもそもそと説明してくれたがよくわからなかったので、さっさと「わかりました」といって明日萌抜先生に聞くことにした。

 

 

いよいよ…

鼻の調子は大分良い。もちろん痛みが全くない訳ではなく、時折頭痛がしたり、頬が痛んだりはするが、それでもこの日記を付け始めた時を思うと雲泥の差だ。

今日寝て、明日目が覚めたら、明日退院だ、

待ち遠しいような、名残惜しいような、変な気分。なんだか今日はセンチメンタルで良く眠れない気がするけど、寝ようと思います。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月10日

入院10日目

昨夜

昨夜はやっぱり良く眠れなかった。なんだか気がたって神経が興奮していたことや、午前中寝てしまっていたことなども原因の一つだが、一番の原因は久しぶりに寝る前の痛み止めを飲まなかったことだ。普段生活する分には、たまに痛んでもとりわけ気にならないのだが、横になるとまだかなりうずいた。

退院しても痛み止めはもらうことにしよう。

 

 

昼食

今日の昼食からおかゆではなく、並食になった。午前中にあった診察の後、伊集院さんが「ごめん越本さん。今更やけど、ごはん普通にする?」と聞きに来た。やった!と思ってお願いしますというと、「ごめん、聞くの忘れてて…ホンマはもっと前から大丈夫やってん。」と謝られた。かわいくてやさしいから許す。

 

 

午後

今日の午後はいつもにも増して平和にゆっくりとすぎている。診察でも何が痛かったということも無く、術後の進行に問題がある訳でもなく、何をやる訳もなく、誰が来る訳でもない。入院最後の午後にふさわしいカンジ(逆に生後でなかったら暇すぎて鬱になりそうだが…)。闘病日記を付けながら売店で買ったタピオカ入りコーヒーゼリーを食べる。結構おいしかった。最後の夕食は何がでるのだろう。もはや食べることしか楽しみが無い老人のような生活である。

 

 

最後の晩餐

今日の夕食は10日ぶりの米だった。いつも、夕食にはダイエットを意識して穀類を食べないか少量におさえていたのだが、今日はご飯がおいしくて全部きれいに間食してしまった。ごはんっておいしい。でも太ったらやだなぁ。

 

 

最後の夜

今、病院最後の消灯を終えた。今日は本を読んで早めにゆっくり休んで、明日早起きすることにする。もう書くべきことはないみたい。明日、この続きを書く頃にはすでに退院しているだろう。では、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月11日

入院11日目

部屋とお別れ

今、最後の診察を終えた。今日は小池先生が戻って来ていて、最後に治り具合をみてくれた。

鼻に小さなカメラをとおして写真をとり、私にもみせてくれた。

鼻は大きくひろがっていたが、まだ炎症で全体的に赤かったり、傷跡はかさぶたで赤かった。たまに起きるずきずきとした痛みはこのせいだったんだと確認できて安心した。

後は家で鼻の洗浄をしつづけ、炎症の治りを見てもらうために何度か通院してだんだんと治療は終わっていくらしい。かさぶたが乾燥してとれにくくなってはいけないため、まだ家にいる時や寝る時は鼻に綿球を突っ込んでいないといけないのであんまりスッキリ爽快の退院じゃないが、確かに今痛みはなく、手術の日のことを思うとほぼ完治だ。

今、病室のベッドで清算を待ちながらこれをかいている。センチメンタルな気分には昨夜じっくりひたったので今はそんなに寂しくないが、伊集院さんや看護婦さんとお別れなのはちょっとさみしい。

ほんとによくしてもらった。感謝してます。小池先生と萌抜先生にしてもそうだ。入院最後の診察がおわって、本当に感謝でいっぱいで、「ありがとうございました」といったけど、なんかうまく言えなかった。本当の感謝って、言葉でいえないのかも。

でもとにかく感謝してます。医者を神、看護婦さんを天使という気持ちが今になって心底よくわかる。ほんと、治ってよかった。

よんでくれた人にも感謝。なんか今、感謝感謝感謝。

ちょうどいい気分なので、私の闘病日記はここまでにしようと思います。

10日間、ありがとう。